心地よいカフェにいると頭の中がリセットされる。実は今、写真家のディレクションに悩まされているのだ。スタジオにいても、デスクにいても、考えがまとまらないのでここにいる。吉田町といえば、バーの町のイメージが強いがここはゆっくりコーヒーが飲める。普段は、スタジオ仕事が多いのでたまに事務仕事をしようとしてもなかなか集中できない。そんな時にここに来る。お店にとってはどうかと思うが、気兼ねなくパソコンを開くことができる。俺のほかには、綺麗にスーツを着こなしている商社マンが一人、それから学生が二人だ。
そういえば、「良いカフェは懐が深い」と聞いたことがある。色々なものを抱えている人たちが、居所を求めて集まる場所なのかもしれない。ふと恩師である重森弘淹の言葉を思い出した。ある写真家が、自分の作品が自分の意図していない捉え方をされることを嫌っていた。その写真家に対して重森弘淹は、「写真は、作家の元を離れた時点、つまり発表した時点で、その解釈は見る人に委ねられるものだ。極端にいえば、写真家が悲しい思いを伝えたくて作品を作ったとしても、見る側が楽しく感じれば楽しい写真であり、それを悲しく捉えて欲しいと願うのは作家のわがままである」。
写真を見てどう感じるかは、見る人の自由だと強く言っていたことを思い出したのだ。ん?さっきまで悩んでいたディレクションの答えが見えた気がしたぞ。久しぶりに恩師の顔を思い出しながら冷めたコーヒーを飲んだ。 きっとここは良いカフェの条件を満たしているのだろう。