濱橋会は横浜の中心部で活躍している30代から40代の若者たちが力を合わせ、彼らの間で結びつきを強め地域発展に貢献する集まりだ。横浜の人や街を繋げる架け橋となるべく、「濱橋会」は毎年11月に「運河パレード」を開催している。昔よく利用されていた運河の魅力をより多くの人に知ってもらうため、また水上交通の復活を目標として、この催しは7年前に始められた。濱橋会はそれ以外に町の川・運河の環境をよりきれいにするために人工岩礁を入れたり、また緊急時や災害時における物資の運搬手段としての活用等、様々な研究を行っている。
「人と人が繋がると、町と町が繋がる」
濱橋会の2代目の会長、大島重信はそう信じている。7年前に「登良屋」のオーナー、新井浩が濱橋会を始めたきっかけはこのを繋がりを大切にし、町と町、そして地域全体の一体感を実現することだった。昨年新井が引退したため、濱橋会発足当時からのメンバーとして活動してきた大島が新しい会長となった。新井が作り上げたイメージを保ちつつ、それを新たに育てていきたいと大島は望んでいる。「周りの町のことをもっと知り、お互いの町を紹介していくことが大事だと新井さんはいつも言っていた。それぞれの町でやっていることの魅力を分かち合えるよう心がけている」
濱橋会は大島のように個人でビジネスをしている方が多い。大島は祖父の代から受け継いだ手芸の材料を扱うお店「大島展商店」を石川町で経営している。同じくインタビューに答えてくれた角野渉は個人の建築会社「kadono design NODE」のオーナーだ。こうして自分のビジネスを経営しながら仕事の合間を縫ってメンバーたちは集まり、話し合いを行っている。「ミーティングはいつも楽しくやっています」と大島は言う。「みんな個人で参加し、一人一人が自分の町が大好きだから集まっているため、気楽に楽しみながらやることをベースとしている」。この熱心な思いと志は、彼らが毎年計画している運河パレードに反映されているのがよくわかる。
「観光地から歴史的な場所をつなげる運河を上手く活用して、町と町を繋げて横浜の良いところを見せていきたい」という願いから運河パレードが始まった。少しずつ濱橋会はそのゴールへ近づいている。濱橋会というチームとしてこうした変化をもたらしている一方、個人でも横浜に貢献できることは沢山ある。「街の中で自分が好きな場所を見つけることが大切」と角野は言う。「好きな場所を持ってもらうことで、横浜の魅力をどんどん育てられると思う」
それに加えて大島はこう言う、「自分の住む所だけではなく、視野を広げて横浜の色んな場所を知ることが大事。他の町の良いところを知って、それを分かち合うことを特に今の若い人にしてほしい。横浜は都会的な場所が多いけど、一本裏通りを歩けば下町や面白い商店街、また生活感に溢れた地域などが沢山ある。狭いエリアに何でも揃っていて、遠くに行かなくても面白い町がいっぱいあるのが横浜の魅力の一つ」。確かに横浜は奥が深い街だ。みなとみらいや野毛のようなメジャーなところから一歩はずれたら、横浜の歴史を感じさせられる古い神社や建物にも巡り会える。ローカルの人たちにとっても懐かしい場所や、ユニークな雰囲気が漂っているエリアも横浜に多く点在する。そういうところでこそ、ディープな横浜を体験し、見ることができると角野と大島は言う。
お店を経営しながら濱橋会のリーダーとしての役目を果たしている大島は、生まれ育った石川町でも様々な活動を行なっている。住民の日々の生活をより良くするためには、地道な作業と努力の積み重ねが必要だと大島は感じている。そして、変化は内側から始まるということも。小さなことに目を向け、それを一生懸命忠実にこなしていくうちに周りが変わってくる、と確信しているのだ。大島が長年培ったその思いと努力は、多くの住民から信頼を得てきた。彼がリーダーとして率いる濱橋会が、横浜を繋ぐ橋としてこれからどういう風に横浜を変えていくのか、楽しみだ。