鈴木清は私が写真学校で一年生だったときの担任の先生だったが、鈴木先生との最初の出会いは、私が小学生のころにさかのぼる。おそらく小学校3、4年生だったと思う。
私の実家と同じ町内に看板屋があった。当時、その看板屋は手書きで文字や絵を描いていて、そこで働いていたお兄さんに絵を教わったり、夏休みの宿題を手伝ってもらったりしていた。おかげで絵が大好きになり、図画工作の成績はいつもよかったことを覚えている。私が中学生になると、いつの間にかそのお兄さんはお店からいなくなり、そして時と共に私の記憶からも薄れていった。
おわかりだろうが、そのお兄さんこそ鈴木清だった。
写真学校で話す先生の口調にどこか親しみがあり、聞いたことのある感じだなと思っていたのだが、ある時、先生の爪にペンキが付いていることに気付き、その瞬間「あ!あのお兄さんだ」と確信した。
そのことを伝えると、先生はすでに気付いていて「遅いよ」と言われてしまった。そして、その後はよく一緒に三吉演芸場に行くようになった。演芸場には幼稚園のころ祖母と一緒に舞台に上がったこともあったので、鈴木先生との記憶と祖母との記憶が一つに繋がり、私にとってより濃密な記憶となっていった。
先生から教わった、写真に「塩こしょうをする」というテクニックは、今でも使わせていただいている。ここで言う「塩こしょう」とは撮影時、自分のよしとするカットに「時間」「偶然性」という付加価値をつけていくもので、写真表現ならではのテクニックです。
看板屋のお兄さんとして表現の楽しさを教えてくれ、成人してからは写真の楽しさと難しさ、付き合い方を教えてくれたのが鈴木清だ。
私と写真を結びつけてくれた恩人であり、今も写真のみならず心の師匠でもある。
経歴
- 1943年、福島県いわき市に生れる
- 1969年、東京綜合写真専門学校卒業。「カメラ毎日」誌上の「シリーズ・炭鉱の町」でデビュー。
- 1983年、個展・写真集「天幕の街」で日本写真協会新人賞受賞
- 1989年、写真集「夢の走り」で第一回・写真の会賞受賞
- 1992年、個展「母の溟」で第十七回・伊奈信男賞受賞
- 1995年、個展・写真集「修羅の圏」で第十四回・土門拳賞をそれぞれ受賞
- 2000年、病気により逝去