ルース・ジャーマンは、エネルギーに満ちあふれた、どこまでも前向きで積極的な人物のように思える。彼女は、子どもたちがサンモール・インターナショナルスクールを卒業後、海外に進学したことをきっかけに県内の別の場所に引っ越したが、それまでは保土ヶ谷に18年間住んでいた本物のハマっ子だ。自身の名が付けられた株式会社ジャーマン・インターナショナルの代表取締役社長であるジャーマンは、国内企業や自治体と「潜在顧客」とを結びつける役割を果たすべく、多忙な日々を送っている。この「潜在顧客」とは、おもに国内外に住む外国籍の人々を指す。
経営する会社について、ジャーマンは「私たちは『橋渡し役』を担っています。国内企業と、それら企業が提供するサービスの利用対象となるユーザとの間には隔たりがあります。日本のほとんどの企業が、グローバルな客層をターゲットにしはじめたのはここ数年のことで、それまでは特に考えなくてもよかったのです。ですが今は、日本に住む外国人やインバウンド観光客の数が増え、考慮する必要が出てきました。どの企業も、新しいユーザ層とつながる方法を見つけなければいけません。私は人とつながる術を身に着けています」と話した。
ジャーマンはボストンにあるタフツ大学を卒業後、1988年に来日(育ちはハワイ)。以来、「人とつながる」スキルを磨いていった。彼女は、当時企業と人材を「つなげる」求人広告・人材紹介サービスをメインに事業を展開していたリクルートに入社した。そのときを振り返って彼女はこう明かしてくれた。「創業者の江副浩正はとても先進的な考えを持っていました。日本のグローバル化が進んでいくことを知っていた彼は、海外からの新卒者を採用しはじめたのです。私は同社で4年働いたのち、退職してフリーランスで通訳と翻訳の仕事をしていました。テニスのスター選手であるモニカ・セレスや、米公民権運動活動家のジェシー・ジャクソンの通訳を務めたことがあります。リクルートを通じてそういったコネを作っていたのです」
彼女は家で幼い子供たちを育てながら、8年間フリーランスで仕事をしていたが、2000年に江副から連絡が来る。1990年代、政界を揺るがしたリクルート事件の裁判は13年続き、江副は事件後一線から退いていた。公判の終盤で、ジャーマンは江副の弁護団から依頼を受け、情状証人として証言台に立ったという。彼女は、江副が日本における採用の慣習を破り、リクルートを差別のない開放的な会社に変えたと証言した。裁判は長期化したが、江副には執行猶予つきの判決が下され、中には彼女の証言が執行猶予の刑を後押ししたと見る人もいた(のちに出版された本の中で、江副は自白を強要されたと述べている)。そして政界を巻き込んだこの大事件をきっかけに、国内企業のコーポレートガバナンスを見直す動きが広がった。
江副が連絡をしてきたとき、彼は事件を過去のものとして前に進むべく、新しい事業に力を注いでいた。新しい事業とは、サービスアパートメントだ。彼の事業はスペースデザインという社名で、それまでマンション販売を行っていたが、短期滞在者向けに家具付きのアパートを貸す方向に舵を切っていた。借り手となる潜在顧客にどうつながっていくか探るのがジャーマンの仕事だった。
彼女は当時を思い出してこう話した。「社内のスタッフがサービスアパートメントを見たいということでニューヨークに飛びました。ですが私がアイデアを出すたびに『いいね、でも日本だと…』という反応ばかりでした。日本に戻ってから、私は江副に伝えました。いつもスタッフからダメとしか言われないので、私がいる意味がわからないと。すると彼は『日本はダメと言う社会だと知っているか? いつもダメばかりなんだよ。それを打ち破る方法を見つけなければいけない』と答えました。すべての力を持っているような日本人でも周りからダメと言われることを聞いて少し安心しました。その12年間は、人々とどうつながるかを深く学んだ貴重な時期でした。自営業の一介の請負業者から始まりましたが、役員を務め、営業部門を統括するまでになりました。当時、日本に来たばかりの外国人の数千人と連絡を取っていたと思います」
最終的に、ジャーマンは再び退職して自らの道を進むことを決める。江副は、それこそ彼女らしいと知っていたかのように、彼女の独立をサポートした。株式会社ジャーマン・インターナショナル(以下、JI)は2012年に正式に設立された。
ジャーマンの会社が掲げているモットーは、「日本のコンテンツと海外の好奇心をつなぐ架け橋になる」。彼女は、当時の企業は海外からのインフルエンサーや旅行者が人気スポットで撮影する自撮り写真に頼っていたと指摘する。しかし、当然ながら彼らは日本に長い間滞在しているわけではなく、地域を代表したり日本文化の一端を担っているわけでもない。掘り下げた情報や魅力は伝えられないのだ。
「私たちは通訳しているのです」と長く日本に住むジャーマンは言う。「私たちのような長期滞在者は多くいるのに、国内の企業は私たちを活用することを考えてきませんでした。私たちはたくさんの魅力を知っています。日本にあるすべてが素晴らしいコンテンツになりえるのです!」。説得力のあるコンテンツ、そして信頼できる声を届けるべく、彼女は知識と人材を揃え、そのチームを「JIコア50」と名付けた。このチームは、特定の分野に関して深い知識を持つ50人の長期滞在者からなっている。JIの顧客が主催する講演会にこのチームメンバーが来るもしれない。または小さな町を訪れて、町の見どころを体験したり、動画配信のために地元文化や歴史について情報を発信するかもしれない。ジャーマンは「ホームページにはJIコア50メンバーを一人ひとり掲載しています。コンサルティングを希望される場合は、担当者の調整も可能です。私の会社の強みとして、面白い人材が揃っていることが挙げられます」と話した。
JIが手掛けるコンテンツには、インバウンド向けというよりは、すでに日本に長くいる外国人向けの実用的なものもある。例として、本稿のあとに掲載しているジャーマンの新しい銀行サービスについての投稿を見てみよう。このようなコンテンツには、長期滞在者の個人的な経験とマーケティングが融合されている。日常生活に必要な情報が十分でないと感じる日本においてはとても効果的だ(我々にとっても銀行関連の手続きは大きな悩みの種だ)。
ジャーマンの人生には休みがないように見えるが、自分のためだけの時間も楽しんている。「読書が好きです」と彼女は話し、続けて「今はゴルフにもはまっていて、月に一度はプレーしに行きます。運動も好きで、朝はヨガをしてたくさん歩くようにしています。でも一番は勉強が好きで、資格を取るのが好きなのです。おそらく、私が宅地建物取引士に合格した最初の外国人女性でしょう。宅建は日本人でも取得が難しい資格です。今は何か新しいものを探していて、合格に5年ほどかかる中小企業診断士の資格を取得することを考えています。合格を目指して勉強するのは、日本語の勉強にもとても役立ちます」と話した。
横浜でお気に入りのスポットについて尋ねると、旅行で来た友人を案内する状況を念頭に、彼女は回答してくれた。
「夜は絶対大さん橋の『サブゼロ』に連れて行きます。みなとみらいの夜景を楽しむには最高のスポットです。日清のカップヌードルミュージアムも外せません。一日中横浜で食べていることでしょう! そして、腹ごなしに歩くのに、私のお気に入りの庭園、三渓園に連れていきます」
彼女を惹きつける横浜の魅力について尋ねると、即答してくれた。
「開発が進んだ美しいエリアもあり、すべてつながっているところです。例えば、今では横浜駅からほぼ元町まで、海辺沿いに歩ける歩道が整備されています。これはすべての都市が10年以内に実現すべき姿を体現しています。都市計画を進めている人たちの考えはまさに正解そのものです」
ありがとう、ルース!
JIについてくわしくは:www.jarman-international.com