ロンネフェルトティーは、1823年にドイツ・フランクフルトにて、ヨハン・トビアス・ロンネフェルト氏によって創業された世界で最も歴史のある紅茶会社の一つだ。今月号では、このロンネフェルトティーの日本における総代理店「オッティ貿易」社長で、横浜生まれでもある、マルセル・ニーダーハウザー氏を紹介する。
このビジネスを始めた背景や、きっかけは何だったのでしょうか?
きっかけは、1999年、ある日の午後に突然訪れました。当時、スイスの会社に勤めていたのですが、自分の仕事にそれほど満足感を得ることができないまま過ごしていました。そんな時、突然電話がかかってきたのです。「紅茶を販売したいというドイツ人のプレゼンテーションに参加して欲しいのだが、日本にはすでに多くの紅茶が売られているので、やんわりとお断りしてほしい」という内容でした。プレゼンテーションを聞きながら、私はホテルのマネージャーに、自分の意見として、日本のホテルで西洋の紅茶を提供するというコンセプトは良いと思うと伝えました。すると、「もしあなたが販売に携わってくれるなら買いましょう」と彼は冗談交じりに答えました。そして私は家に帰り、妻(スパイク)にこれから自分で貿易会社を始めようと思う、と伝えました。そこから、ロンネフェルトティーの日本での取り扱いが始まったのです。
日本のそれぞれのお茶の会社と、ロンネフェルトティーの関わりについて教えてください。
ご存知のとおり、ほかのアジアの国々同様、日本には緑茶のとても長く深い歴史があります。欧州では、イギリス・ドイツ・ロシアなど、紅茶を好む国々では特に、緑茶はあまり飲まない傾向があります。同じように、日本ではもともと紅茶はありませんでしたし、明治時代に日本に入ってきたばかりです。紅茶をたしなむのは貴族のみの贅沢品と考えられていました。現在でも日本人が緑茶を好む傾向は続いていますが、紅茶に関してはさまざまな会社が輸入しており、市場の競争は激化しています。そんな中、ロンネフェルト紅茶はホテル・レストラン・紅茶専門店やいくつかの店舗のみに卸すという、大変ニッチな市場をターゲットにしています。
ロンネフェルトティーの特徴は何でしょうか?高級紅茶専門会社でしょうか?
高級というより、どちらかというと「ニッチ」な紅茶会社だといえるでしょう。まず、我々はいわゆる紅茶の卸問屋ではありません。私たちは、お客様に対する紅茶のコンサルタントであると表現しています。私たちの価値は、オリジナルの紅茶レシピと、その香りや味わいを維持するための特別な管理方法にあります。最高級品質の紅茶は、もともとのレシピを丁寧に維持した結果であり、そこが製品化においてもっとも難しい点だといえるのです。
通常、フェアトレードはコーヒー産業によくみられる世界的な取り組みです。紅茶産業にも活用されているのでしょうか?またロンネフェルト社における取り組みについて教えて下さい。
ロンネフェルト社はエシカル・ティー・パートナーシップ(略称ETP) と、チャイルド・エイド・ネットワーク(略称CAN)の常任メンバーです。ETPは紅茶製造国において、主に環境面での改善に向けた基準を策定しています。また、CANは南アジアの茶葉農園の青少年に向けて、教育・訓練の機会を創出する支援をおこなっています。ロンネフェルト社がこのETPとCANに参加することにより、茶葉農園の労働条件が改善され、紅茶ビジネスのよりよい未来につながると考えます。
ロンネフェルト社が開発したおすすめの紅茶の香りや製品を教えてください。
アイリッシュウイスキークリームティーが一番の人気商品といえるでしょう。このレシピは日本では「ロイヤルミルクティー」という名称で広く知られているもので、アッサムティーをウイスキーとココアで香りづけしています。もう一つは、ダージリンアールグレイティーです。こちらはプレミアムダージリンティーに柑橘系ベルガモットで香りづけした商品です。
「オッティ貿易」について教えてください。
会社名は、私の父の名前「オットー」から付けたものです。「オッティ」は私たちが父の愛称としていた呼び名で、「貿易」は日本語から。1999年に本拠地である横浜で創業しました。現在は、関東圏、神戸や広島を含む日本各地にスタッフがいて、ロンネフェルトティーだけではなく、スイスの会社のタルト生地などの輸入販売も手掛けています。
最後になりますが、マルセルさんの生い立ちや、横浜とのつながりについて教えてください。
私の両親はスイスのヴィンタートゥール出身で、1962年に横浜にあるスイスの会社で働くためにこの街に移り住みました。私は元町に近いエリアで生まれました。5歳のとき、父の仕事の都合で神戸に短期間住んでいたこともあります。高校と大学はスイスの学校を卒業しましたが、卒業後、再び日本に戻ってきました。そしてここ横浜で、私のアメリカ人の妻であるスパイクと出会いました。2人の子どもはすでに成人しており、どちらも横浜インターナショナルスクールを卒業しています。今は、スパイクと2人で横浜とハワイを行き来しながら自分たちの時間を楽しんでいますが、私は「ハマっ子」だと思っています。