ヤン・ヨセフ・スワガー(1885-1969)は、1923年から1941年まで横浜を始め日本全国に多くの重要な建築物を残したチェコの建築家だ。同じくチェコ出身でビジネスパートナーでもあったアントニン・レイモンドと同様に、スワガーは横浜に拠点を置きながら、日本全国で活躍した。1932年から1936年にかけて彼が手掛けるプロジェクトは連発し、青山のカナダ大使公邸や、築地の聖路加国際病院の荘厳な礼拝堂、そして白金の聖心女子学院など、東京の街並みを彩る建築が生まれた。大阪のカトリック豊中教会、神戸ムスリムモスク、カトリック福岡司教区司教館、北海道の当別トラピスト修道院など、彼への仕事の依頼は日本中のさまざまな宗教建築の、実に広範囲に渡るものだった。
スワガーは震災後の復興期間中、横浜の街並みを一変させた。山手町にある紅蘭女学校(現:横浜雙葉学園)や、セント・ジョセフ・カレッジなど多様なデザインでその本領を発揮し、並行しながらライジング・サン石油や、スタンダード石油など石油輸入会社のオフィスや倉庫も建設した。残念ながら1945年の空爆によって、現存しているものは無い。市内中心部にある1938年のモダニズム建築、ヘルム・ハウスは戦火を逃れたものの、その後のまちづくりの過程で解体された。その跡地は2011年に神奈川芸術劇場 (KAAT)へと姿を変えている。
横浜の街で、スワガーが手掛けた最も印象的な建造物は、山手町にあるカトリック山手教会(1933)だろう。ゴシック様式の尖塔は、離れた場所からも存在感を放っている。同様に小高い丘の上にあるカトリック保土ヶ谷教会(1938)も、現存する建物の一つだ。本牧元町に彼の私邸として今も残る、1937年に建てられたチューダー様式のバーナード邸は、現在スタジオ兼写真ギャラリーとなっている。