「ピアノクリニックヨコヤマ」の代表を務めるピアノの調律師、横山ペテロ。ヨーロッパの巨匠演奏家から魔法のようだと賞賛される横山の調律は、各メーカーの特徴を生かし、ピアノの声の成分を聴いて、ピアノ本来が持つ歌声を最大限に引き出す、西洋伝統のスタイルだ。鍵盤を弾いた時、響きがまるでハーモニーのように持続し、タッチによる音色の変化を豊かに表現できる。石造りの響きの教会の中で生まれた西洋音楽、西洋楽器の歴史をたどると、そこには必ず歌(聖歌)がある。言い換えれば人の声こそ西洋楽器の真髄と言えるだろう。
横山は27歳で独立した後も、日本各地のピアノの技術者を訪ねながら技術を学び続けた。1999年、横山にとって運命的な出会いが訪れる。世界の巨匠ピアニスト、故イェルク・デームス氏との出会いだ。横山の調律を気に入ったデームス氏は、その後20年間にわたり、ウィーンの邸宅と、ザルツブルグとフランスにある別荘のピアノの調律を依頼してきた。ピアノコレクターの異名を持つデームス氏のお屋敷には、当時80台のピアノがあったという。年に2回、それぞれ1ヵ月半ほど滞在するが、その間に4台しか調律できないこともある極めて慎重な作業だ。デームス氏は横山に古楽器を扱う工房を紹介し、古いピアノの修理を学ぶ機会も与えてくれた。そして最終的には、デームス氏が所有する貴重な古楽器の修理まで任されるようになったという。さらなる高みを目指して、ベルリンやパリ、プラハ、ブリュッセル、そしてニューヨークなど、世界各地のピアノの技術者を訪ね、コンサート調律や修理の現場を見せてもらいながら、昼夜を問わずがむしゃらに学んだ。「現在店内には、デームス先生が気に入って愛用されていたピアノも置いてあります。販売店ですが博物館に置いてあるような、非売品のピアノもあるのですよ」と、おだやかに目を細める。
熊本で生まれた横山は、写真家の父のもとで育った。夜が明ける前に父は幼い息子を阿蘇山へ連れて行き、おさがりのカメラを持たせて一緒に写真を撮らせることもあったという。大自然に魂を揺さぶられ、ボロボロ涙を流しながら夢中でシャッターを切る父の姿は、今でも一枚の写真のように心に残っている。豊かな感性は「音楽」で受け継がれた。中学1年生のとき、当時の音楽教諭、清田公介先生が連れて行ってくれた演奏会で、生まれて初めてオーケストラの生演奏を聴いた。それは、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団だった。舞台上で何か不思議なことが起きているような、13歳の自分には抱えきれないほど、衝撃的な感動が全身を貫いたという。溢れる涙をぬぐうことも忘れて目の前の音楽に浸った。
「子どもたちに良い音楽を聴いてほしい」その思いは自身の体験からくるものだ。近隣の方に気軽に音楽を楽しんでもらえるように、店で演奏会も開催している。また、「生涯音楽を愛して豊かな人生を生きる事」を目的とした音楽教室、リシュモア音楽院も運営しており全国から生徒が集まる。良い音をひたすら求め続けた横山の情熱は、世界中のピアノの技術者や音楽家との出会いを果たしてきた。かつて、デームス先生と時が経つのを忘れて深夜までピアノについて語り合った日々。宝物のような思い出は、先生から譲り受けた大切なピアノにいつまでも刻まれている。