一部の人にとって、紙媒体である雑誌は、物珍しいメディアが残した過去の遺物のように見えるかもしれない。では、ポッドキャスト、ストリーミングビデオ、ソーシャルメディア、そしてウェブサイトの時代における、雑誌の価値とは一体何だろうか? 私の眼には、法律や倫理(そして脳)が追いつくスピードよりも速くテクノロジーが進歩したことで、むしろ雑誌の重要性はより高まっているように写っている。
私は1990年代後半からずっと雑誌の出版に携わってきた。そのため、ある一定の知見が広がってきたと考えている。14年前に横浜シーサイダーマガジンを創刊したとき、既に「デジタルの時代に雑誌の将来性は無い」と言われていた。実際にこれまで多くの雑誌が衰退の一途をたどり消えていった。そのほとんどは、コンテンツや形式(見せ方)など中身の問題ではない。それらの多くが、デジタル広告の圧力、つまりデータの追跡や希望のターゲット層に表示させることを可能にしたデジタル広告の登場によって衰退していったと考える。このテクノロジーは不気味(あるいは危険)というほどでは無いにしてもある種の印象を与える。
企業は私たちの生活や行動パターンの情報を収集している。もしハッカーがそのデータを盗んだ場合(そして彼らは常にその手段を見つけるだろう)その情報を使ってどうするだろうか? ソーシャルメディアは誤った情報を急速かつ危険に拡散させることを可能にした。ある研究によると、我々の脳は洪水のように押し寄せてくる情報に対して、それらを的確かつ理性的に処理することが、ある一定を超えると不可能になると言われている。インターネットによる利便性と潜在的な可能性を否定するわけではないが、私たちの多くが、その根本を忘れてしまっているように思える。物珍しいメディアが残した全ての遺物も、それはまた良いものだったのではないだろうか。
雑誌とは、一息つき、読んで、熟考する、そんな機会を与えてくれる。それは「コミュニティの感覚」を築くためにも重要な所作といえるだろう。NPO法人として私たちの掲げる目標は、横浜のコミュニティを強化することであり、そのために横浜シーサイダーの発行を続けている。もちろん我々のウェブサイトとソーシャルメディアも存在しているが、雑誌そのものが健全なコミュニティにとって主要な機能を果たしていると信じている。皆様からのご支援と広告主様のおかげで、私たちはその思いそして使命をこれからも継続できるのだ。ここに改めて、感謝申し上げます。