朱美とアンドリュー・バルマス夫妻は、アメリカのクラフトビールのインポーター、卸売と小売の国内最大手、ナガノトレーディングを経営している。同社の歴史は2004年に遡り、2012年に吉田町で株式会社を設立した。2年前、カリフォルニア州から3年半にわたって遠隔運営をしたのち、彼らは野心的な計画を引っさげて横浜に戻ってきた。それ以後、スタッフの数も事業範囲も急速に拡大を続けている。横浜のビールシーンを変えているのはもちろん、その勢いはとどまるところを知らない。
「私たちの店は政治的ではありません」とアンドリューは話す。「ビールとフードという、人々を結びつけるものを一緒に楽しむ場所なのです」
アンドリューはナガノトレーディング直営の小売店「アンテナアメリカ」についてそう表現した。アンテナアメリカでは輸入ビールを樽生または瓶や缶で販売、またイベントも行っている。2013年に吉田町で最初の店舗をオープンして以来、高い人気を博している。ここでは、いろいろなバックグラウンドを持つ多種多様な人々を結びつけている。2016年には伊勢丹と手を組み、品川駅のアトレ品川に2店舗目をオープンした。ここでも成功を収めると、同社と伊勢丹は再びタッグを組み、2018年横浜駅のジョイナスに3店舗目を開業。樽生ビールが飲めるバーと、冷蔵庫が並ぶ酒屋が融合した面白い空間になっている。もちろんフードも重要な役割を果たしている。
ここ数年、日本でもクラフトビールブームが続いている。小規模醸造が可能となった法改正は20年以上前に遡り、日本各地にブルワリーは点在していたが、盛り上がりを見せてきたのは最近のことだ。ナガノトレーディングはインポーターだが、バルマス夫妻はクラフトビールを世に広めてきた立役者に違いないだろう。
アンドリューは「クラフトビールシーンの中で、ここ2年間、単なる醸造設備からブルーパブへと転換する流れが起きているのは明らかです」と語る。
日本のクラフトビールの歴史において、ブルワリーは主に大都市にあるバーや店舗にビールを納入するのが主流であった。一方、ブルーパブとは醸造したビールのすべて、または大部分を敷地内のバーやレストランで販売する小さなブルワリーを指す。過去5年間で100以上のブルーパブがオープンし、横浜でも数店開業している。アンドリューは、ブルーパブは競合相手だと認めながら、目指す場所は同じであると指摘した。彼らはビールシーンに何か新しいものをもたらす、いわば地元のヒーローのような存在だ。消費者が新しい味やアイデアを周りの人たちと一緒に楽しめる、ワクワクするような空間を創り出しているのだ。
バルマス夫妻は、成功を収めているビジネスモデルを拡大していく予定だ。問題は、場所だ。
「新型コロナウイルスをきっかけに、多様な拠点を持つ必要性を感じました。というのも、営業時間などに関する規定がそれぞれ異なっていたのです」とアンドリュー。品川店は営業時間を短縮して営業を続けたが、横浜駅の店舗は45日間にわたって休業した。
「現在、私たちは地域の公衆衛生のガイドラインに従いつつも、ある程度の裁量をもって運営できる場所を探しています」とアンドリューは続ける。「そして横浜の物件を新たに探しているのです。今進めているプロジェクトが二つあるのですが、そのうち一つが完成間近です」
新型コロナウイルスは物件の選び方を変えたが、東京への進出計画にも影響を与えた。彼らはオリンピック直後に小売用の物件を見つけたいと考えていた。人通りの多い通路沿いには、オリンピック閉会と同時に営業を終了するポップアップスタイルの店ができるはずだとアンドリューは話す。そういったスペースは、アンテナアメリカのように長期的な計画を持つ事業にとってはチャンスだ。東京進出のあとは、バーと酒屋が一体化した同様のビジネスが成功している大阪への参入を見据えている。
10代の娘を持つバルマス夫妻は、オフの時間は横浜を満喫している。大都市の開放的な雰囲気を表す、見ているだけで心が落ち着くほどに美しく開発されたウォーターフロントがお気に入りだ。アンドリューは、この美しい景観は横浜の精神の延長だと見ている。
「横浜はとても開かれた土地です。アイデアを発展させ、根を下ろすことができる場所です。深い誇りがあり、中華街など多様性にも富んでいます。横浜が国際的で、歴史よりも実績でアイデンティティーを発展させているところが好きなのです」
バルマス家は自宅で過ごすことが多いと話すが、国際色豊かな横浜のレストランへ出かけることも好きだという。
「美味しいイタリア料理が食べられるので満足しています。中華街の小籠包も絶品ですし、私たちは麻婆豆腐に目がないのです。新しい横浜ハンマーヘッドにも出かけて楽しんでいます」
ほかの場所もいくつか挙げるアンドリューだが、彼が自らの店で客と美味しい料理とビールを楽しむ姿を見かけるのは珍しいことではない。彼は社交的で、気取ったところがなく親しみやすい。朱美が時折彼を引っ張って連れていかなければならないほどだ。
横浜にバルマス夫妻がいるのは幸運なことだ。彼らが横浜にもたらしたのは事業だけではない。互いに仲良くしようという姿勢と、コミュニティー意識をも生み出している。