「ヨコハマ暮らしと文化の博物館」をちょっと想像してみてほしい。それも、モノや工芸品が展示されている博物館ではなく、音楽、ダンス、詩などの才能溢れるアーティストや学者がのびのびと活動できる、ダイナミックな場所。訪れた人が学んだり鑑賞しながら、西洋へ門戸を開いた横浜の歴史にインスパイアされた、美味しい食べ物や飲み物が楽しめるコミュニティスペース。それが、「7artscafe」(セブンアーツカフェ)を経営するジョセフ・アマトが目指す姿だ。そして誰かがそれを成し遂げられるとしたら、アマト以外にはいないだろう。
アマトは、横浜の国際的なコミュニティ内では知られた存在だ。彼は2011年から横浜インターナショナルスクール(以下YIS)を通じてジャパンカルチャープログラム(前・日本芸術文化国際センター。英: International Center for Japanese Culture、略称ICJC)を運営している。このプログラムでは、学生やコミュニティメンバー向けにレッスン、講義、ワークショップやコンサートを行い、日本伝統文化に触れる機会を提供している。カリキュラムには日本語、茶道、書道、日本舞踊、歴史、映画、建築、生花、着物デザイン、琴、三味線、太鼓や文学などが含まれている。しかし、好評を博した10年間にわたる活動は、より大きなステージへの助走路だったのかもしれない。
その話へ移る前に、アマトが横浜に住むことになった経緯について触れておこう。米国ペンシルバニア州フィラデルフィアで生まれ育った彼は、近くのローワン大学で学び、卒業後はニューヨーク大学で音楽作曲の修士号と博士号を取得した。1995年、修士カリキュラムをすべて履修し終えたとき、アマトは「世界の音楽を学ぶため、半年間旅に出ました。訪れたのはエジプト、インド、ミャンマー、中国と東南アジアです。日本は最後に訪れました。ここで、琴が織りなす音と表現に心を奪われました。仕事を探して、福岡インターナショナルスクールで職を見つけることができました」と話した。2年間教師として働く間、彼は琴にのめり込んでいった。
博士号取得に必要な残りの作業を終わらせるために一時的に米国に戻ったあと、札幌にあるハイデルバーグ大学日本校(現在は閉校)に職を得たアマトは、ここでも琴の稽古を続けていた。それからまもない2000年、文化庁から奨学金を得て、彼は正派邦楽会が運営する音学院でフルタイムで琴を学ぶことになる。そして卒業後の2003年、琴を教えるプログラムをスタートするためYISに採用された。
このプログラムは評判を呼び、助手を雇わなければいけないほどだった。しかし彼はもっと活動を広げたいとICJCを設立。ここでのプログラムも大成功を収めた。しかし2017年、彼は選択を迫られることになる。
「もっと大きなことをしたいと思うようになりました」とアマト。「ICJCでできることはやり尽くしたと感じ、2017年にNPOを立ち上げました」
アマトはこれまでよりも裾野を広げて、スタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校で行っているような、一般向けに開かれた日本文化プログラムを始めたいという思いがあった。そしてNPO法人日本文化振興マネジメント(英: Japanese Culture Promotion and Management。略称JCPM)が始動する。
「東芝国際交流財団とは良い付き合いをさせていただいています。彼らは私のプログラムを10年にわたって支えてくれ、(JCPMの)一番のスポンサーでもあります。またフロリダ州のモリカミ博物館や日本に関係がある団体からも支援を得ています。あとは、助成金や個人からの寄付によってプログラムが続けられています」
さまざまな会場で文化活動を続けることだけでも素晴らしいが、アマトは、さらに前に進むためには自分だけの場所を見つけることが必要だと感じた。そして、末吉町(日ノ出町駅近く)にあるセブンアーツカフェがその場所となる。
次号ではアマトの「家」とも言えるカフェについてくわしく紹介していく。かいつまんで説明すると、彼の友人がこの空き物件について教えてくれ、チャンスとばかりに飛びついた彼は、この物件を多目的に使えるカフェに改装し、今月オープンを迎える。
「横浜にはこのような場所が必要だったと思います」とうれしそうにアマトは語る。「東京には横浜のような歴史がなく、国際的な雰囲気も横浜には敵いません」
横浜は今後さらに面白い場所になりそうだ。
(次号につづく)