横浜出身で、横浜国際教育学院の副理事長 和泉雅樹先生から話を伺った。
パンデミックの中で、学校が直面した課題は何ですか?
一番苦心したのは、学生と先生たちの安全をどう確保するかです。
留学してきた学生たちは限られた期間内での学習のため、授業を止めるわけには行きません。
感染拡大時にはONLINEで授業し、マスク・フェースシールド着用と消毒など感染防止対策の徹底により、対面授業が出来る時は極力対面授業をするという繰り返しとなりましたが、その判断がいつも難しいです。
パンデミックの間、リモート学習(SkypeやZoomなどを用いるもの)が主流となりましたが、言語の学習や指導においては、どのようなデメリットがあるのでしょうか?また、なぜ対面での学習の方が良いのでしょうか?
オンライン学習で出来ること、できないことがあります。これは言語学習に限られたことではなく、ZOOM疲労と呼ばれる現象があるように、コミュニケーションが不自然な状況が続くとどうしても出る弊害です。
言葉はコミュニケーションのための主なツールですが、それには顔の表情や体の仕草が伴います。それを学生は先生達から学ぶのが普通ですが、オンラインですとその部分が大きく欠落してしまいます。また、学生同士のコミュニケーションも不足するため、お互いから学ぶものも限れられてしまいます。
例えば同じように会話を教えても、去年3月の卒業生たちは実際に会った時に話をすると会話力不足と感じてしまいます。それは学習内容は同じでも、自然な対面会話があまりにも少なかったために、身につくものが違うからです。教室での対面授業はやはり言葉の学習には大切です。
例えば、多くの大学は部分的に授業を対面に戻していますが、何が優先されているかというと、ラボ実験と外国語授業です。
パンデミックの間に、YIEAにとって何か良いことはありましたか?例えば、新しいカリキュラムを開発する時間が増えたのではないでしょうか?
当校のカリキュラムはパンデミック前に刷新されて、協働学習 (collaborative learning) の手法を大きく取り入れたところでした。
協働学習は学生同士が互いからも学習できる環境を作るというのが軸となる手法です。そのため、オンラインになるとかなり工夫が必要になります。
先生方も学生達もこのパンデミックで否応なしにアイディアを出し合い、迅速かつ柔軟に変化に対応していくスキルを身に付けたのではないかと思います。
パンデミックの話からは逸れますが… 最近は自動翻訳に触れる機会が多くあると思います。コンピュータが人間の代わりに言語を十分に操ってくれる中、なぜ人間が言語を学び、翻訳などの練習をすることに価値があるのでしょうか?
言葉は単に通訳、翻訳すればいいものではありません。その言葉についてくる歴史と文化があります。私もネット上やビデオストリーミングで、どうみても自動翻訳されたとしか思えないものをよく見かけるようになりましたが、本当に言いたいことが伝わらない場合もかなり多いです。
日本語が好きだから日本語を勉強する人はごく僅かです。日本の文化、古い文化でも現代文化でも、とにかく文化が好きだから日本語を勉強するのが一般的です。
ある文化風土を理解したい、視野を広めたい人が積極的に外国語を勉強するのだと思います。
バイリンガルとして、日本語のどのようなところが美しい、興味深いと思いますか?
日本語は表現がやんわりです。直接的ではないところがいいのですが、これは直接的な表現が当たり前の社会からきた人々が苛立ちを覚える部分でもあると思います。でも、言葉の上で曖昧さが残る状況ですと、その真意を読み取るために人はもっと相手に気を配ります。その気配りも日本の社会文化の一部となるわけです。
もう一つは日本語のもっと楽しい面です。擬音語、擬態語が多いので、それは便利な上に楽しいです。ゴロゴロ、コロコロ、もみもみ、などは外国語に翻訳する時にそのまま伝わらないような表現になりますね。
YIEAで教鞭を執る中で、改めて大切だと思ったことは何ですか?
人生はきっかけと巡り合わせ、ということを再認識する機会がいくつかあったように思います。語学学校ですので、学生たちにとっては1-2年間いるだけの踏み台です。ほとんどの場合、学生達の本当の目標はここにはないです。でも次にどこに辿り着くかは、ここで出会った先生や友人の一言で変わることがあります。
一言の声かけが人の人生を左右することがあるので、その一言をかけるかどうかを吟味する必要があると同時に、億劫してもいけないと思います。