伊勢佐木商店街にある「浜志゛まん(はまじまん)」は創業100年を超える老舗の洋菓子店だ。浜志゛まんの前身は1913年(大正2年)に和菓子店として創業した市村菓子店。和菓子店がまだめずらしい時代に、横浜の土産物として自慢できるようなお菓子を作りたい、という思いから、こしあんと栗を入れた「濱じまん最中」を考案して発売。評判が評判を呼び、その名のとおり、多くの人々からハマの自慢と称され、愛された看板商品だ。その後、第二次世界大戦後の混乱期を経て、老舗の和菓子店は洋菓子店へと変化を遂げる。外国への扉が開かれた港町横浜、新しいものに敏感なセンス、それらを受け入れる柔軟性。そのような好条件と「ボストンクリームパイ」が出合い、創業当時から親しまれてきた商品の名前を店名に残しつつ、洋菓子店「浜志゛まん」が誕生した。
港町横浜を象徴するようなエピソードはここにもある。戦後しばらく経ったころ、旅客運輸の主軸は船から飛行機へと大きく移り変わっていった。そうした中、それまで横浜と諸外国をつなぐ客船で腕を振るっていた一流のシェフたちが、働き場所を求めて海から陸へと移ってきたという。当時は洋菓子店の数も少なく、ましてや外国航路客船で舌の肥えた客を満足させてきた味は、最高峰の美食だったであろう。1957年(昭和32年)、浜志゛まんは日本郵船が運行していた横浜ー米国間の客船で活躍していたシェフを雇い、ボストンクリームパイの販売をスタートした。ボストンクリームパイとは、米国・ボストンにある1855年創業の「OMNI PARKER HOUSE(オムニパーカーハウスホテル)」で誕生したケーキである。数々の著名人が訪れ、あのジョン・F・ケネディ大統領がジャクリーンにプロポーズしたレストランがある、有名な老舗ホテルだ。
浜志゛まんでチーフパティシエを務める工藤英治は、洋菓子を作り始めて50年以上経つ大ベテランだ。当時、直接レシピや技術を教わった一人で、初めてこのケーキを食べたとき、どうしてこんなにおいしいものがあるのかと不思議に思ったという。その後も伝統の味わいを守りつつ、その時代に合わせて砂糖の量を減らすなど柔軟に味を改良し、ボストンクリームパイを「今」に伝えている。
現在の店主である三代目の市村聡史はこう語った。「もともと、横浜は文明開化と開港の地で、さまざまな民族や文化が融合し発展してきたとても寛容な街。そんな伊勢佐木の今後の発展が楽しみです」。明朗闊達という表現がぴったりな人物で、こちらまで気分が明るくなってくる。店に並ぶ一級品のお菓子には、店主の人柄が表れているようだ。なるほど、訪れて気が付いた。地元の人々に長く愛されているのは、それなりの理由があるのだ。明るい気持ちで店を出て、文明開化に思いを馳せながら伊勢佐木を歩いてみると、また違った味わいの景色が見えてくる。