優秀なディレクターに声をかけてもらうことはプロとして光栄だ。内容はもちろん、誰に声をかけられたのかも、仕事をする上でとても大切なことだと思う。
先日、セルディビジョンというブランディング会社の新人講習を行った。同社のモットーは、お客様と夢を共有し、最良のパートナーとして様々な手法を駆使して、夢を現実化することである。すなわち、セルディビジョンのディレクターは、多岐にわたる手法を提案できるだけの知識と経験を必要とされるということだ。こういうわけで、同社のディレクターの卵が俺のところにフィルムの現像とプリントを体験しに来たのだ。ん? いらしていただきました。
今回の講習は現像やプリントが上手くなることが目的ではなかった。むしろ、私の勝手な考えによると、画像ではなく、写真というものを理解してもらうことにあった。ただ、受講生にはそのことを伝えず、単純に暗室作業を楽しんでもらった。一人一人感じることが違ってよいし、それも写真の魅力だからである。
実際に講習を始めると、やはり彼らが撮影してきた写真が面白い。また、ベタ焼きからセレクトするカットも実に興味深い。先輩ディレクターにも一人参加してもらったのだが、さすが、サラッと選んだカットが的確だった。写真は、見る人の生きてきた過程や時間、つまり経験値で見え方が変わってくる。極端に言えば、一枚の写真でも見る人によって楽しく見えたり、悲しく見えたりするのだ。
ということは、例えば、食べ物の販売促進を目的として写真を使用する場合、その写真の目的は明確である。見る人によって美味しそうに見えたり、マズそうに見えたりしてはいけない。この場合誰が見ても美味しそうに見える写真を選ばなくてはいけない。ディレクターには違いを見極める経験値が求められるのだ。また、「こういう感じの写真が今どき」だから採用する、という場合でも、なぜこれが「今どき」なのか、その理由を言葉にすることをクライアントから求められる。さらに、ディレクターは写真以外でも的確なディレクションをしなくてはならない。新人の彼らは、これから沢山の経験を蓄積し、難しい判断をしなくてはいけないのだ。
講習中、乾いた砂に水をかけたように、見聞きすることすべてを吸収していく彼らを見ていてとても気持ちがよかった。まあ今は、こんなことを言っている俺も、何年かして彼らからダメ出しを出されてしまうかもしれないが……。ただ、それも彼らであれば少し嬉しいかも、と思ってしまった。