書道家の粟津紅花とその娘の紅扇(こうせん)、息子の紅翔(こうしょう)が、親子で活躍している「粟津親子書道パフォーマンス」を取材するため、私たちは国際会議のレセプション会場を訪れていた。諸外国との交流の拠点でもある国際都市横浜は、国や行政主催でさまざまな国際イベントが開催されており、外国人が多く集まる街だ。書道パフォーマンスは海外から訪れる人々へ、日本の文化を紹介するおもてなしとして、そのようなレセプション会場で開催されることが多い。
その日は母と娘が二人で行うパフォーマンスだった。篠笛や太鼓の音が鳴るなかで、雅な振袖姿をたすき掛けにして、縦2メートル、横5メートル程の大きさの紙に、全身をつかって力強く書いていく。華奢な二人の姿からは想像できないほど、豪快に大きな筆が進む様は気迫に満ちている。少し離れた距離からまっすぐに書を見据えて、一呼吸おいて筆をおろし作品を完成させていく。外国の方でたとえ文字が読めなくても、自然に人々の目は筆先に集まっていき、会場全体の集中力が高まっていくのを肌で感じる。揮毫(きごう:毛筆で文字を書くこと)の際、深い集中に入ると、周囲の音が聞こえなくなる瞬間もあるというからすさまじい。
曽祖父、祖父も書道家という書道一家に生まれた粟津紅花。9歳年上の姉が書道を習う姿にあこがれ、ようやく筆を持たせてもらったのは3歳の時だった。嬉しくて毎日一生懸命練習した幼き日々を懐かしく思い出す。本格的に書道家を志したのは小学5年生の時、日展で見た一つの書に、衝撃を受けたという。当時は書かれている文字が全く読めなかったが、言葉一つなく、ただそこに存在している一枚の書が、これほどまで人の心をつかむのかと感銘を受け、しばらくその場から離れられなかった。
ふたたび転機が訪れたのは今から12年前。パリで開催されたイベントの主催者から「日本から作品を送るより、実際にアーティストが来てパフォーマンスをした方が、パリの人たちは感じるものがあるはずだ。パリで出展してみませんか?」という提案を受け、その時に初めて自分の背丈より大きなボードに書く、書道パフォーマンスを披露した。海外の人々に受け入れてもらえるか一抹の不安があったが、パフォーマンスは大成功に終わった。ふり返るとその場に多くの人が集まっており、ブラボーと拍手喝采が鳴りやまず、中には涙を流してくださる方もいたという。その時に思ったのは、書道家を志すきっかけとなった、あの日のことだった。何も言わなくても、たとえ言葉が読めなくても、伝わる、伝えられる、そして人の心を動かすことができる、書道という世界観。
今では年間約30回を越える書道パフォーマンスを行っている。指導している教室の数は紅花書道塾をはじめ13ヶ所。初心者から師範まで、年齢層も2歳から96歳と幅広い。プライベートレッスンには政治家や芸能人まで訪れるという。そんな粟津紅花はいったん書道から離れると、穏やかで柔らかいオーラに包まれた女性だ。休みの日は自然を求めて遠出をしたり、歌舞伎や美術館などを訪れて、心の栄養を欠かさないように心がけていると話す。最後に、粟津紅花にとって書道とは何でしょうか? と質問したら、このように返ってきた。「国内外を、次世代を、そして娘と息子の粟津親子を繋いでくれるもの。ゴールがなく、生涯学び続けるもの」。