中華街の真ん中に隠れ家のようなコーヒーの名店がある、と聞いても「まさか」と思うだろう。「CHILLULU COFFEE AND HOSTEL(チルルコーヒー&ホステル)」は、 2階にドミトリータイプのホステルを兼ね備えたスペシャリティ珈琲専門店だ。「CHILLULU」という店名は、英語で「寛ぐ」「遊ぶ」といった意味のCHILL OUTを、CHILLする→CHILLる?と、日本語の動詞っぽくしたもので、実際、中華街の喧騒とはうらはらに、店内には居心地の良い空間が広がっている。スタッフ手作りの木のテーブル、マスキングテープを何枚も貼り合わせたハートのウォールディスプレイ…店内右奥にはペットOKのテラス席も。国際色豊かな2階の宿泊者同士が自然と打ち解けたり、中華街一帯のお店の人達の朝の社交場と化すなど、ここは国籍も年齢も様々な人々のくつろぎ空間になっている。本誌スタッフが訪れた平日の昼下がりは、和やかに談笑する少人数のグループ客やコーヒーを飲みながらパソコンを開いている一人客の姿もちらほらみられ、ゆったりと穏やかな時間が流れていた。
学生時代からコーヒーの虜だったオーナーの伊藤洋介が、この店を開くまでに歩んだ道のりは決して平坦なものではない。チルルのコーヒー豆は、商社を通さず全て中南米のコーヒー農園との直接交渉で買い付けている。中南米産の豆にこだわる理由…それはNYに留学していた二十歳の頃、南米・エクアドルのコーヒー農家の貧困事情を知ったことがきっかけだった。エクアドルは貧困から国を捨ててアメリカへ逃れる人がとても多く、そのほとんどがコーヒー農家だという。自分の大好きなコーヒーに関わる悲惨な現実を知り、なんとか彼らを救いたいと思った。それが伊藤のコーヒービジネスの原点だ。
伊藤はその後、大手自動車メーカー勤務や中国の北京大学への留学を経て、帰国後本格的にコーヒー事業に取り組む。NY留学時代に抱いた強い思いを胸に、南米各地のコーヒー農園に自ら足を運んだ。当時、上質の豆でありながら大手商社に安く買い叩かれていた農家の人々と粘り強く交渉して、徐々に信頼を勝ち取っていく。そうして適正価格で直接買い付けた上質の豆を自ら焙煎し、そのコーヒーを都内の街角で売り歩いた。すると徐々に伊藤のコーヒーのファンが増え、複数のパチンコ店で販売できるようになると、それがまた評判を呼び…と徐々にビジネスが軌道に乗り始めた。一方、南米の農家もフェアトレードにより潤い始めたので、コスタリカやパナマなど南米以上に苦しい中米のコーヒー農家とも直接交渉して取引を拡大していった。
チルルでは、そんな思い入れのある高級豆を自家焙煎し、注文を受けてから熟練スタッフが一杯ずつ丁寧にハンドドリップでカップに注ぐ。筆者達は一番人気の「チルルブレンドコーヒー(¥500+税)」と、「ヘーゼルナッツラテ(¥650+税)」をオーダー。前者は深いコクと甘みがあり、香りも豊か。酸味がなくスッキリとした味わいは筆者好みで、お世辞抜きに美味しい。後者のヘーゼルナッツラテは、甘めでミルクの味が効いた濃厚な味わいが楽しめる。コーヒー以外のドリンク類も豊富で、「マサラチャイティー(¥650+税)」を始めとする紅茶や16種類ものタピオカドリンクなど、気になるメニューが並んでいる。
フード類にも随所にこだわりが見られる。「銅板で焼くパンケーキDX 季節限定完熟マンゴーと季節のフルーツ添え(¥1250+税)」は、今どきのスフレパンケーキと異なり、昔懐かしいしっかりめの生地だ。銅板なのでムラなくきれいに焼き上げられたパンケーキにはマンゴーやキーウィなどをトッピングした生クリームとアイスクリーム、そしてメイプルシロップorハチミツが添えられ、実に食べ応えのある一皿だ。もう一品はハムとタマゴの「ミックスサンドウィッチ(M,¥700+税/L,¥850+税)」。パンはお好みでトーストor生食を選べる。筆者達はサクッと香ばしいトーストを味わった。このほか、フレンチトーストも絶品なのでおすすめだ。
チルルが中華街にオープンしたのは2016年12月のこと。実は、既に「HOSTEL AND COFFEE SHOP ZABUTTON」という同じ業態の店を東京・麻布で軌道に乗せていた伊藤。幼い頃、横浜の祖母によく中華街へ連れて来てもらった思い出があったことや、外国人観光客に箱根や鎌倉だけでなく、横浜の魅力も知ってもらいたい、そして横浜を盛り上げたい、そんな思いから「東京より難しい」という周囲の反対を押し切り二店舗目を中華街に出店した。
丸3年が経った今、このホステルで出会って結婚した日本とイギリスのカップルが新婚旅行で再びここに帰って来てくれた話や、ここで出会ったベルギー人のショコラティエと意気投合した日本人が一流企業の職を捨て、本場ベルギーで賞をもらうほどのショコラティエに転身した話など、興味深いエピソードがいくつも生まれている。「この店は人と人のご縁を繋いだり、人生の転機を後押しする場所になっているようです」と伊藤。また、スタッフにも積極的に外国人客と交流するよう促しているという。異なる文化に触れることで、物事を広く考えられる人間を育てたいという思いからだ。他にも様々な慈善活動を行っている。「究極的には、コーヒーを通じて世界が平和になればいいなと思っているんです」そう語る伊藤の言葉を聞きながら改めてコーヒーを一口すすると、一層奥深い味わいが口の中に広がった。