私の父が他界して4年になる。父はとても信心深く、朝、夕、必ず仏壇を前に「般若心経」をあげていた。幼少の頃、父と風呂に入ると「般若心経」を唱えてから湯船を出るようことを強いられていた。中学時代、私がグレた際には、無理やり高野山に連れて行き、幾日か修行僧と共に生活をさせられた。父の教育にはいつも仏教が絡んでいたのだ。そんな父への反抗心は消えるどころか強くなり、さらには宗教というものに対して疑問を抱くようになっていった。その疑問を払拭すべく、大学に入った私は「宗教論」を学ぶことにした。父の考えを論破するには、父以上の知識を持って挑むしかないとも考えていたためだ。世界中の様々な宗教を学ぶにつれ、どんな宗教に対しても偏見を持たずに接することができるようになった。同時に、父を理解できるようになり、論破することが無意味であるという答えに行き着いてしまった。結果的に、今でも私は父を尊敬している訳である。
そんな父が尊敬していた写真家がいる。土門拳だ。
土門拳は、昭和14年奈良の室生寺で、「日本人の遠い祖先に巡り合った気がした。日本中の仏像という仏像を撮れば、日本の歴史も文化も、そして日本人をも理解できる」と考え、仏像を撮り始めたと言われている。ちなみに日本は統計的にみて約8,470万人が仏教徒であり、寺院は約7万5000、仏像は30万体以上あるといわれ、他の仏教国と比べても桁違いに多い。
先日、私は薬師如来像を撮影する機会を頂いた。金沢区釜利谷にある白山 東光禅寺の御本尊様である。東光禅寺は臨済宗建長寺派での寺院で、畠山重忠が1282年に開基し、1467年に現在の場所に移転。それ以来、静かにそこでたたずんでいる。私は御本尊様以外にも約20体の仏像を撮影させていただいた。土門拳の足元にも及ばないだろうが、仏像の持つ永い時の流れにシンクロし、そのパワーに圧倒されながらも、魂を込め、必死でシャッターを切った。土門拳がシャッターを切るとき、大きな声で気合を入れていたと聞いたことがあるが、それくらいしなければシャッターを切ることができなかったのだろう。私は心の中で「般若心経」を唱えながら14時間に渡る撮影を終えた。そして、今回特別に許可を頂き、本誌に御本尊様の写真を掲載できることとなった。薬師如来像の持つパワーを少しでも感じてもらえれば嬉しい。
最後に、ものすごく個人的なことなのだが、私は父の喜ぶ顔が目に浮かんだ。